かっこ悪い人はかっこいいという話。
かっこ悪いひとは本当はかっこいいんじゃないかという話。
僕の周りにはいろんなタイプの友達がいる。
シェアハウスに住んでいて毎月友達がいっぱい増えるみたいな状況で、その人たちと暮らして思ったのは、かっこ悪いところを見せれないやつはかっこ悪いということ。
自分の弱さやかっこ悪いところを見せないほうが実は簡単で、
当たり障りのない関係を作ることはシェアハウスにおいては非常に簡単だ。
適当に話を合わせて適当に笑っていればいい。
しかし本当の意味での友達になるには、かっこ悪いところも見せることが必要だ。
ぼくは、これが苦手だった。
人にどう思われるかあまり気にしていないつもりだったが、ぼくはいつも、どこかかっこつけていた。
「かっこ悪いようで本当はかっこいい人」というのは、
「自慢しない、相手を褒める、自分をかっこ悪く見せる、弱さも見せれる、だけど譲れない時は譲らない人」だ。
あなたの周りに思いつく人がいないだろうか?
ぼくはそういう人が一番かっこいいと思う。
ぼくはつい自慢してしまうから、こうはなれない。
弱さを見せるのも苦手だ。
そういうことができる人を羨ましく思う。
だけど、このブログでは自分の弱い部分も認めて、さらけ出して書いていきたいと思っている。
30歳になったし。もうなんだかかっこつけてもしょうがないかなと。
嫁と家族以外の評価はどうでもいいのだ。
ただ逆に言えば家族の評価は死ぬほど大事なので、今後も頑張ります。笑
旅にでていた時も、ブログには良さげなことしか書いていない。
黒く渦巻いた感情は、ブログではなくて日記に書いていた。
旅はそんなにいいことばかりじゃない。
シェアハウスに住み始めた時。
自分でも他人行儀だったと思う。
リビングに行くのが不安だった。
友達ができるかな?
できなかったらやだな。シェアハウスで孤独とかマジで地獄やで。。
もうグループとかあるんだろうな。
苦手だわ〜グループに入って行くの苦手だわー。ああもう嫌。北海道帰りたい。
と、そんな感じだった。リビングに行くのはしばらく緊張した。
だけどみんなと少し仲良くなってきたら、自分を出すように努めた。
なんかたまに上辺だけの付き合い方をしているひとをシェアハウスで見ると、可哀想だな、と思っていた。
シェアハウスでやるいろんなイベントを通して、どんどん仲が深まっていった。
そんな中で、ただかっこつけているやつと、かっこ悪い風にしているけどかっこいいと感じるひとが出てきた。
一緒に暮らすと、その人の本質が見える。
深く付き合って初めて見える、かっこよさ。かわいさ。素敵さ。
弱さ。ずるさ。まっすぐさ。
何か一緒に苦労して乗り越える度に、そういうものが見えてくる。
お互い怒鳴り合えるほど信頼し合える友達は、本当に貴重だと思う。
仕事をバリバリやってるけどあまり家庭を大事にしていないひとと、仕事はできないけど家族を大事にしているひとなら、後者の方がかっこいいと感じる。
何をかっこいいと感じるかは変わっていく。
画面の先の誰かじゃなく、
大切なひとにとってかっこいいと思われる存在になりたい、と思った。