どこまでも青く。

世界一周後に一軒家を買い、妻とちくわとゆったり暮らす。楽しく子育てしよう。

知識が増えるごとに世界が狭くなる。

本を読むと知識が増えて世界が広がると思ってたんだけど、なんか違うかもしれないと思って来た。

単純に本を読んだら知識は増えるけど、それで知ったつもりになって、逆に行動しなくなっている。

僕自身は読書は好きだけど、その本に書いてあることに縛られていくような感覚がある。

それは本だけではなくてネットニュースとかでもそうだ。

特にネットニュースはなんとなく見てしまうからたちが悪い。

 「老後を幸せに過ごすための3つの方法」とか

「男性ドン引き!女子のモテない仕草」とかね

いや、見ちゃうんだけど、なんか見て満足したことってほとんどない。

どうしても万人に当てはまるような情報になりがちだし。

老後を幸せに過ごすには

→貯金をする

とかね。

いやわかってるよ!わかってるけど出来ないの!自分はどちらかというと年を取ってからの100万より若いころの10万円が価値がある派だから!

、、でも貯金しないとヤバイかな。。でも何千万も貯金とか無理だろ。。

みたいにただちょっと不安になっただけっていうね。

こういうのも鵜呑みにしちゃうと危険だよね。

 

例えばじゃあ、節約の為に来週の飲み会は行くの辞めよう!ってしたとして、

もし行ってたら後々結婚する運命の人と出会えてたかもしれない。

そんなことないだろとか思うかもしれないけど、結婚する相手なんて大抵何気ない出会いからだし。

毎日を幸せに生きるのが大事なのに、将来の漠然とした不安を考えて不幸になってるって意味わかんないよね。

女性の仕草とかもなんか、みんなが同じような仕草してたら何にも魅力感じないけどなぁおれは。

別にいちいち仕草がかわいらしくはないけど、なんか自然体に生きている人が自分は好きだ。

そもそもおれもその情報をいれてなければ、ああかわいいなぁと純粋に思えてたかもしれない。

情報を入れてしまうと、なんとなくその情報に引っ張られてしまう。

「失敗しない◯◯」とか、なんだか失敗してはならない気がしてしまう。

 

ただ知識が多くなりたい、と思ったことはないけど、自分が興味があることは知りたい、と思う。

でもそのために本を読んだら、なんとなく知ったつもりになって満足してしまうことがある。

ここまでネットが普及してなんでも情報が得られる時代になると、実際に経験することが逆にすごく価値があることになっていくんだと思う。

 

知識はもうインターネットにある。価値があるのは、経験だけになる。

 

インターネットがない時代に自分で調べて得た知識は、今みたいに簡単に出てくる情報より、深く自分に残った。

もちろんインターネットで色々なことを知れるきっかけは多くなったから、

結局は情報とどう付き合うか、ってことなんだろうな。

 

知った気になって何も行動しないのではなく、

知った情報をきっかけにして、実際に体験してみるようにしよう、と思った。

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yonksy.hatenablog.com

 

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス "