マイナス1歳の命
友人が素晴らしい活動をしていて、クラウドファンディングを始めた。
胎児ホットラインの設立を目指しているらしい。
出生前診断で胎児の障害や病気が判明した夫婦が相談できるとのこと。
同じ境遇の方達とも繋がれるらしい。
以前、その友人に誘われて障害についてのイベントに行ってきた。
深く、考えさせられる時間だった。
この記事はその時に感じたことを書いた記事で、たくさんの人にシェアされて、たくさんの人に読んでもらえた。
それはつまり、彼らの活動が非常に本質的で価値があり、知れば周りに伝えたくなるものだからだろう。
世の中には知らないことがたくさんあって、でも毎日見るネットニュースは芸能人がどうしただの政治家がどうだの、見る価値があるのかと思うものが多い。
その人生の時間の中で、こういう活動を知る時間を作って欲しいと切に思う。
クラウドファンディングについて
日本には、妊婦さんを支える組織はたくさんありますが、「赤ちゃんに病気や障がいがあった時」に特化して妊婦さんを支える組織はありません
自分がもし、子供ができて、でも障害があるとわかった時、どうするだろうか。
中絶するか、それとも生むのか。
周りの景色が変わるだろう。
なぜ。
どうして。
どうしたらいい。
産んだらきっと大変だよな。
でも自分の子だし。
なんでだよ。
どうしたらいい。。。
2015年に活動を始めてから出会った方の中に、おなかの赤ちゃんの病気の可能性を告げられ混乱した思いを伝えてくださった方がいました。
産まない選択をしたときの想い
赤ちゃんの病気が伝えられ、限られた時間と情報の中で決断をしなければいけないこと、本当に辛いです。孤独だと感じました。
中絶を選んだらひどい母親と思われそう、誰にも言えない。誰だって我が子に会いたいに決まってるのに、苦しんで悩んで決めた答えに、心ない非難をされることがただただ怖い。
情報が合っているのか、本当にこの決断で良いのか良かったのか、ずっと悩み続けます。
本気で自分がもしその状況になったらと考えたら、産まない選択をした人を、どうして責められるだろう。
現在の日本には、おなかの赤ちゃんの病気の可能性を告げられた時に、かけこめる場所がありません。
告げられたご家族が、数日から数週間という短い時間の中で、自ら情報を探し、乗り越えなければならないのです。
産む選択をしたときの想い
ダウン症や難病がありながらも懸命に生きてる子ども達、その傍らで我が子に寄り添うご家族が、この世界にはたくさんいらっしゃること、分かってはいたけどやはり他人事として考えていたことを改めて感じました。
こんな人生を送るなんて思ってもみませんでした。妊娠がゴールではないこと。心拍が確認できたら大丈夫というわけではないこと。世の中の妊婦さんみんなが幸せに過ごしてるわけではないこと。身にしみて痛感しております。
ここに相談しなければ、ダウン症だったら堕胎しようとしていたかもしれません。本当にありがとうございました。
ダウン症で、生み育てることを断念される方には、「情報不足で生み育てる勇気が持てなかった」という方もいます。
このご家族は「ゆりかご」で、ダウン症についての様々な事実を知り、生み育てられると考えられるようになりました。
ゆりかごというのは他の障害をもった子を持つ方とつながれるサービスだ。
自分がもしその状況になったら、同じ境遇にある方達とつながれることは、どれだけありがたいだろう。
前の記事でも書いたが、そういう境遇を分かち合うことができるかできないかは、それがなかったら自殺していたかもしれないというレベルのものだ。
そういう意味でこの活動が世の中にとってどれだけ意味があるのかと考えると、計り知れないものがある。
こういう活動を知った時、自分には関係ないと思うだろうか。
実際そういう人は多いだろう。自分も若い頃はそうだった。
それが今、子供ができて、子供が生まれることは当たり前ではないということを知って、それでも今こうして子供に恵まれて、毎日大変だけれども子供がいることの素晴らしさと、親への感謝や人生の儚さ、素晴らしさを感じている。
自分の子は今の所、障害を持っていない。
普段、障害について考えたり話したりするだろうか?
なんとなくこういう話は、障害を持っている人同士が話し合うことという意識があった。
なぜだろう?政治の話を、政治家ではないからしないのと同じくらい、日本のこの空気と自分の中にあるこの感覚に違和感を覚える。
自分は障害を持っていない。
ただそれは、たまたまでしかない。
障害を持って生きづらい本人も、その家族も、もっと幸せになって欲しいと思うし、その権利があると思う。
そして、そういう社会にしていくべきだし、自分はそういう社会、国で暮らしたい。
僕が思うのは、障害を持っている人たちを意図的に差別する大人はもうほっておけばいいと思うけども、これからの子供たちにはそうなってほしくないということだ。
そのためにはこういう活動を知ってもらうことが大事だと思う。
実際に使う方々も、家族の中でいろんな思いを抱えているけど、他の同じ境遇の方たちと出会うことで、親ではなくて兄弟も救われることもあるのだろう。
障害を持っているかどうかというのはある意味で個性でしかなくて、その人がどういう人なのかということがの方が大事なはずだし、きっとテクノロジーの進化で少しずつ障害は障害で無くなっていくはずだ。
クラウドファンディングというのは素晴らしい仕組みで、関心はあったけどどうしたらいいかわからなかった人も支援ができるし、知らなかったけど今回で知ることができて支援する人もいるだろう。
たくさんのお金でなくてもいいと思う。
偽善でもいいと思う。いいことしていい気持ちになりたいだけでもいいと思う。
日本のこの最近の他人に優しくない社会で、
余裕がなくて他人に優しくできない毎日で、
優しさで世界をよくできるこの機会を、もっとたくさんの人に知って欲しい、と思った。