子供の死を願うこと。
親が子供の死を願うことなんて、あるのだろうか?
自分はないだろう、と思っていた。
ただそれは、何も知らないだけだった。
もし、子供が重度の障害を抱えていて、その子が苦しそうだったり、一日中泣いたりしていたらどうだろう。
子供の世話のために、どこにも出かけられなかったらどうだろう。
障害に関わるイベント
先日、障害と向き合う団体のイベントに行ってきた。
主催者はシェアハウスの友人で、ロンドンで産婦人科医として胎児医療を勉強している。
胎児医療とはお腹の中にいる赤ちゃんを一度取り出して治療してまた戻したりすることを言うらしく、日本ではあまりまだメジャーではないけれども海外では行われているらしい。これを聞いたときはそんなことができるのか、と驚いた。
そのイベントには障害と向き合う団体の方たちや、障害者のご家族をもつ家族の皆さんが参加していた。
自分は写真を撮って欲しいということで招待してもらった。
忘れられない1日になった。
ここから先は、もしかしたら障害を持つ方には失礼なこともあるかもしれないけど、思ったままを書こうと思う。
イベントに参加することになって、自分はまず「参加していいのだろうか」と考えた。
自分は障害を持っていないし、家族に障害者もいない。
仮に自分がもし障害者だったり障害者の家族だったら、同じ障害をもつ人や関わりがある団体はいいけど、そうでない自分みたいな人に参加して欲しいとは思わないかもしれない。
正直に言えば障害者は怖いと思う部分もあるし、かわいそうだという気持ちもある。
差別的なのかもしれない。
ただ誤解を恐れずに言えば、僕は「障害」に興味があった。
障害を持っている人はどんなことを考え、暮らしているのだろう?
とにかく知らないことだらけだ。
そして、なぜかはわからないが、「自分の子は障害を持って生まれてくるのではないか」という予感があった。
自分の子が生まれて一ヶ月くらいになるが、今の所その様子はない。ただこれから発覚する可能性もなくはないだろう。
きっと多くの人は、「自分の子が障害を持って生まれてくる」ということを想像すらしていない。
知識としては知っているけれど、「うちの子に限ってないだろう」という考えだ。
ただ、現実には何%かの子供が障害を持って生まれてくる。
そして、当然日本には障害を持っている人がたくさんいる。
身体障害、知的障害、精神障害の3区分で障害者数の概数をみると、身体障害者393万7千人、知的障害者74万1千人、精神障害者320万1千人となっている
これを見たときこんなにいるのか、と思った。
普段生活をしていてあまり会う機会がないため、もっと少ないと思っていた。
この障害者にあまり会う機会がないというのも、何か不自然なように感じた。
今回のイベントはNPO親子の未来を支える会という団体が主催している。
「ゆりかご 」というマッチングサービスを最近進めている。
詳しくは記事を読んでいただければと思うが、障害者の家族同士や医者を繋ぐマッチングサービスだ。
最初に聞いて思ったのは、ああそうか、悩みとか共有したいんだろうなぁ。ぐらいだったが、その重要性をイベントで知ることになった。
その参加したイベントで、重度の障害をもったお子さんを育てていた佐々百合子さんにお会いした。
その方の本を読んだので、紹介したいと思う。
改めて自分の人生を考えるきっかけになった。
子育てをしている人、する予定の人は是非読んで欲しいと思う。
あなたは、わが子の死を願ったことがありますか?: 2年3ヶ月を駆け抜けた重い障害をもつ子との日々
- 作者: 佐々百合子
- 出版社/メーカー: 現代書館
- 発売日: 2016/04/08
- メディア: 単行本
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詳しい内容は読んで欲しいのであえて書かないが、普通に暮らして普通に妊娠して普通に出産を迎えた家庭が、重い障害を持って産まれた子供を持つとどういう生活になり、母親はどう思うのかが、リアルに描かれている。
どうしても僕らは違う世界の事として考えてしまいがちだが、誰でも障害を持った子供を持つ可能性がある。
この本の素晴らしいところは、障害を持った子供が産まれたけどハッピーだよ、みたいな薄っぺらいものではなく、障害を持つと本当に地獄だし本当に辛かった、とただ言うわけでもなく、とにかく大変だし本当に辛いけど辛いばかりじゃない、ということを教えてくれるところだ。
さらに、実際に障害児と暮らしていると日本ではこんなに不便な事があったりするんだという、僕らが普通に暮らしていれば知りえないことも学べた。
その中で書いてあったのは、とにかく情報が少ないということ。精神的にも追い詰められた時に救いになるのは友人であり、さらに同じような境遇にいる人達同士で繋がれることで、本当に救われたということ。
その救われたというのも、それが無かったら自殺していたかもしれないというレベルの話であり、人との繋がりが本当に本当に大切であることが伝わって来た。
実際、障害者を家族にもつ家庭が心中をしてしまうケースが多くあると聞いたことがある。
そういう意味ではゆりかごは、本当に有意義なサービスだと思う。
本の最初で、佐々さんが障害児を持つ前にボランティアで障害者がいる家庭を回っていたらしいが、その時に相手側の気持ちを考えていなかったことを反省している。
自分が気持ち良くなりたい為のボランティアなら、いらないのだ。
そういう意味では、障害者の為のボランティアは難しいと感じた。
だが、そこで距離をとってしまっていいのだろうか?
もっと勉強して、障害者をもつ家庭の声に耳を傾ければ、役に立てることはあるのだと思う。
ただ考えてはみたものの、浮かんでこない。
例えば震災のボランティアであれば瓦礫の片付けだったり現地にお金を落とすなりでわかりやすいけども、障害者に対するボランティアとなると、なにかできることはないかと思っても、簡単には浮かんでこなかった。
そもそも、被災地はボランティアを必要としているだろうけど、障害者の方やその家族はボランティアを望んでいない可能性もある。
必要なのは国の制度だったり、支援してくれるNPOだったりするのが現状だと思う。
よく普通に障害者と健常者を区別しないで接するべきという意見もあるけど、それは無理だと思う。
それがみんな出来るなら理想かもしれないけど、やはりそれは理想論だと思う。
綺麗事を言うのは簡単だが、どれだけの人がそうできているのだろう。
そもそも、ぼくらは接する相手が女性か男性かで「区別」するし、日本人か外国人かで「区別」するだろう。
区別するのは悪いことではない。
世界には自分と違うものや人がたくさんあって、それを同じものとして扱うのではなくて、区別した上でその多様性を受け入れる、もっと言えば違いを楽しむべきなのではないかと思う。
当たり前だが障害を持っている人にも魅力的な人もいれば、そうでない人もいる。
健常者でも同じだ。
障害者でも健常者より魅力的な人はたくさんいるのだと思う。
表紙にも書いてあるが、佐々さんは障害児であるナオくんを亡くしている。
その経験から、NAOのたまごという団体を今立ち上げ、様々な活動をなさっている。
イベントではナオくんの発作の様子の動画を見た。
ナオくんは発作の為に一日中泣いているか発作が起こるかを繰り返すような状況の時もあったらしい。
うちには今生まれたばかりの赤ちゃんがいるが、日中それなりに泣く。
それだけでもストレスに感じるのに、それがずっとだとしたら、本当に大変だと思う。
正直に言えば、自分の子供がナオくんのようにはなってほしくないし、もしこれをみるのが子供を授かる前だったら、子供を授かること自体を躊躇してしまっていたかも知れない。
だけど、佐々さんはナオくんの後にも子供を産んでいる。
とても勇気がいることだったと思う。
その辺りの心情は本を読んで欲しいと思うが、
自分が感じたのは、障害児が生まれるかもしれないからといって子供を諦めるのは、やはり間違っているということだ。
僕らは内心、障害児を持つ家庭は不幸だと思っている。
ただ、本当にそうなのだろうか。
よく考えずにそう思っているだけではないのか。
ナオくんがこの世界に残してくれたものは、とても意味があるものだった。
ナオくんを授かっていなければ今の佐々さんはいなかっただろうし、その後のお子さんにも会えてないかもしれない。
それに辛いこともたくさんあったけど、気付きも、幸せも、たくさんくれたのだと思う。
普通に健康な子が産まれてくればそれはそれで幸せだろうし、障害児だったとしても、生活がとても大変になったとしても、必ずしも不幸では無いのだと思う。
ただ本当に辛いのだろうと思うのは、お母さん達が「健康に産んであげられなくてごめんね」という気持ちを持つことだ。
当然母親が故意にそうしたわけでは無いのだから、仕方のないことなのだけれども、理屈ではない悲しみがあることを想像して、胸が苦しくなった。
障害があれば、不幸なのか?
障害を持って産まれたけれども、たくさんたくさん愛情を貰って一生を全うした子供と、普通に健康に産まれたけど、親に愛して貰えなかった子供は、どちらが不幸だろうか。
子供が障害者だと言うことがわかって堕ろすことにしたが、一生それを抱えていく家族と、障害者とわかってても産んで苦労をしながらも育てている家族は、どちらが不幸なのだろう。
幸せの形は人それぞれであり、当事者になってみないとわからない。
周りから見て幸せそうであっても幸せでなかったり、不幸せに見えても幸せだったりする。
佐々さんの本を読んでもう一つ気付かされたのは、障害を持った子達に目を向けるのはもちろんだけれども、その家族にも目を向けるべきだということ。
現実問題として障害を持った子供を持つと、親は世話に時間をとられる。
やりたいことを諦めなければならない、というのはとても辛いことなのに、親なら当たり前として扱われてしまう。
子供の世話がやりがいになることもあるのだろうけど、昔からの夢などがあった場合、それを諦めるのは当たり前なんかでは決してないと思う。
障害者の親もまた、支援が必要なのだと強く感じた。
本によるとそういう支援も少なからずあるようだが、まだ足りていなく、家族のQOL(生活の質)も大事にすべきだと思った。
障害者の方の立場からすれば、自分によって家族が大変そうなのを見ることも辛いことだろう。
まとめ
障害を持つこと、あるいは障害者の家族になるのは誰にでも起こることであり、そしてそれは誰の責任でもない。
日本と言う国は恵まれていると言うが、障害者に対する取り組みは他の先進国に比べてもまだまだ足りないと感じた。
海外ではノーマライゼーションと言って、障害者を閉じ込めるのではなく、自立するように支援する方向で動いているらしい。
正直自分の知識がないためまだよくわかっていないが、そのような施設がたくさんできたら日本も変わっていくのだろう。
障害者の人も活躍できるような社会になれば、偏見も無くなっていくだろう。
正直に言って、健康で恵まれているのに面倒くさいとかいって働かない人達は支援なんかしなくていいと思っている。
努力すれば自分で解決出来る人達は、自分でなんとかするべきだ。
ただ、努力でどうにもできない人達には、支援をするべきだと強く思う。
自分さえ良ければいいと考えることは貧しいことであり、自分は、周りの人も幸せな社会で暮らしたい。
すべての人とは言わないが、平等であってほしい。
国がやってくれるのを待つのではなく、自分が出来ることを探していこう。
今後もこういったイベントに参加して写真を取り、それを広めることで少しでも役に立てたらいいなと思っている。
僕らができるのは、例えば街で車椅子の方を見けたら何か手を貸すとか、そういう些細なことでもいい。
電車の中で一人でよくわからないことを話している人も、それは障害だったりすることが多いことを理解するとか、そういうことも大事だ。
障害のことをもっと知りたくて、障害者のリアル×東大生のリアルという本を読んだが、障害者があっても人生をとても楽しんでいる人達がいて、
幸せというのは自分の生きかた次第なんだ、ということを心から感じた。
東大生がどう感じたのかがいろいろな視点から描いていて、とても面白かった。
健常者でも不幸な人はたくさんいる。
努力すれば誰でも幸せになれる、そういう世界になってほしいと思った。